研究のために明らかにされた、女性が経験したホロコースト

ラーフェンスブリュックの生存者が自ら語る恐怖

ラーフェンスブリュック強制収容所はホロコースト最大の女性収容所でしたが、第二次世界大戦後はほとんど忘れ去られていました。しかし、専門家が厳選した一次資料により、は、ほかの資料では得ることが難しい情報を閲覧することが可能になりました。生存者が語るインパクトのある証言ビデオと過去の新聞記事を組み合わせで、ジャーナリズムが描く様々な場面に個人的な経験が重なり、研究者は体験者の立場に立ったリサーチを進めることができるようになったのです。

ジュディス・ベッカー達は、ラーフェンスブリュックで地獄のような一夜を過ごした後、別の場所に移送されました。Visual History Archiveに収録された証言の中で、彼女は倉庫のような場所に大勢の女性が詰め込まれ、全員が立つのに十分な隙間がないほどだったことを思い出しています。ベッカーたちは順番に頭上に人を持ち上げなければならなかったと述べており、また、新鮮な空気が不足していたため人々は息が苦しくなっていました。飲み物や食べ物はもちろんあるはずがありません。

また、オルガ・アスターたちは列車から降ろされてラーフェンスブリュックまでの長い道のりを歩かされました。骨と皮ばかりに痩せた人々で一杯の地獄のような場所にたどり着き、そこに長い間収容されたと言います。彼女は「私は絶対にあんなふうにはならない、と自分に言い聞かせた。」と証言の中で語っています。彼女また、他の2人の女性と一緒にひとつの狭いわら布団に寝かされ、毎日午前2時か3時に起きると収容所の建物の外に出て人数を数えられました。アスターの記憶によると、全部で8万6,000人の女性が収容されており、毎日2回人数を数えられ、数が合わないと最初からまた数えられたと言います。女性たちは毎朝、前の晩に死んだ者を外に運び出さなければなりませんでした。死体も数えられる必要があったからです。

「私たちは、生きている者たちが死者を羨むような環境で生きていました」 – オルガ・アスター

アスターの記憶では、「選ばれた」収容者が毎週、病気や虚弱や衰弱のために働けないという理由で殺されました。その数は、収容所に新たに到着した人数と同じだったと言います。彼女はアウシュビッツから移送されてきた女性の一群がラーフェンスブリュックの惨状に恐れおののき、空腹であるにもかかわらず収容者にあてがわれている「水っぽいスープを飲みたがらなかった」ことを記憶していました。

収容者にはごくわずかな食べ物しか与えられず、アスターは収容所から解放されて何十年経っても悪夢を見続けました。1枚のパンが自分の胸の上に置かれているのに、夢の中の彼女の腕は切断されており、パンを口に運ぶことができないという夢です。

収容所の建物の中で彼女のグループは隔離されていたとアスターは言います。そのため、収容所の他のエリアで何が起きているのか全く知りませんでした。同様に収容所の外部でも、収容所の中で何が起きているのか知ることはありませんでした。1942年の夏、ナチスの医師が86人の収容者を対象に本人の合意もなしに医学的な人体実験を開始します。この86人は大半がポーランド人の政治犯で、虐待者たちから「lapin」(ウサギ)と呼ばれていました。

74人のポーランド人被験者のうち、5人はこの実験で死亡し、4人は実験で受けた傷が治らずに殺されました。残りは収容者仲間が介抱して何とか生き延びましたが、生涯にわたる身体的障害が残りました。1946年に行われた医者裁判では、4人の生存者がナチスの医師に対して証言を残しています。

医者の裁判

1946年10月26日のLos Angeles Times紙は「人体実験の罪で、23人のナチ党員が裁判を受ける」と報じました。「第三帝国で最も著名な内科医と外科医」の一部が「強制収容所に収容された数千人もの人々を、不合理かつ拷問のような実験で殺害した」罪で告発されたためです。

これらの医師の中にはHerta Oberhauserも含まれていました。彼女は被告の中で唯一の女性で、ラーフェンスブリュックの主任内科医を務めていました。ラーフェンスブリュックでは「戦場で負う傷を収容者に再現し、ガラス片、木片、ガス壊疽菌、破傷風菌を傷に埋め込む」実験が行われていました。

1946年11月30日のLos Angeles Times紙は「ラーフェンスブリュック強制収容所所員の裁判が始まり、24人の勇気ある女性が12月5日に(ハンブルグで)自分たちを虐待した人間たちと対面する」と報じ、この出来事の重要性を次のように説明しています。

証人となる女性たちは、戦時中にラーフェンスブリュックの地獄を経験した15万人の女性の中にいた連合国人、オーストリア人、ドイツ人の女性である。「おそらく史上最大規模の女性強制収容所」と正式に認められたラーフェンスブリュックでは、毒ガスによる大量虐殺が行われ、当局によると5,000人の女性がガス室で殺害されたほか、収容者の女性に対して残酷な人体実験や言語に絶するような多くの拷問が加えられた。

1946年12月20日に2人の被害者が証言台に立って足の傷を見せると、同紙は女性が証言した恐ろしい内容を詳細に報じました。
厳しい裁判は1947年8月に結審し、23人の被告のうち7人が無罪、同じく7人が死刑判決を受け、残りは懲役10年から終身刑までの判決を受けました。Herta Oberhauserは懲役20年の判決を受けましたが、服役5年後に服役態度が良好なため釈放されています。

参考文献:
Helm, Sarah, Martin Richter, Annabel Zettel, and Michael Sailer. Ohne Haar und ohne Namen, edited by Sarah Helm, et al., Konrad Theiss Verlag GmbH, 2016. ProQuest Ebook Central.

Lanckoronska, Karolina. Michelangelo in Ravensbrück, edited by Karolina Lanckoronska, Da Capo Press, 2008. ProQuest Ebook Central.

Saidel, Rochelle G.. Jewish Women of Ravensbrück Concentration Camp, edited by Rochelle G. Saidel, University of Wisconsin Press, 2006. ProQuest Ebook Central.

リソース:
Visual History Archive
USC Shoah Foundation Institute for Visual HistoryのVisual History Archiveは、ホロコーストをはじめとする集団虐殺の生存者と目撃者が見聞した事実や体験などを語ったインタビュー動画を5万4,000件、約2時間にわたり収録したコレクションです。ProQuestはUSC Visual History Archiveとの協力のもと、すべての証言を記録に適したクオリティで活字化し、多くの人に提供できることを光栄に思います。Visual History Archiveの動画と詳細についてはこちらからご確認ください。

Los Angeles TimesProQuest Historical Newspapersに収録される新聞アーカイブコレクションです。
ProQuest Historical Newspapersは世界でも主要な新聞45紙以上の紙面イメージを創刊号から電子化する、新聞デジタルアーカイブの決定版です。数百年を遡って歴史を報道の観点から調べることが可能です。

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