大量虐殺の警告を無視した国際社会

20年前のルワンダの残忍な民族過激主義に今も苛まれる司令官

1993年、ロメオ・ダレール司令官は国連平和維持活動の小さなミッションのためルワンダに向かいました。しかし到着から1年もしないうちに大きな事件が起こります。内戦の後、ツチ族はフツ族が支配する政府内での実権を約束されました。しかし武器や砲弾などがフツ族の民兵に流れてしまいます。ツチ族には政府に身分登録をする義務があり、また常に身分証明書を持ち歩かなければなりませんでした。これがツチ族虐殺につながる大きな原因となりました。

ダレールは悪化していく残虐行為に警鐘を鳴らします。しかし彼が出した追加部隊の要請は無視されました。それどころか彼の部隊の人員がカットされてしまいます。虐殺行為がエスカレートするなか、海外駐在者などの国外居住者がルワンダ国外に避難しました。この100日間にわたる恐ろしい日々に、約80万人がルワンダ軍とフツ族の民兵によって殺されたとされています。

「私は司令官でしたが、何十万人もの人が死にました。『最善をつくした』などという慰めになるような言葉すら見つかりません。」とダレールはPBS Frontlineのドキュメンタリー、Ghosts of Rwanda (ルワンダの亡霊)で述べています。

ダレールはルワンダでの恐ろしい経験によりその後PTSDと診断され、アルコール依存症と自殺性鬱病に苦しみました。これらの苦しみや、少年兵や兵役実務、また大量虐殺などに関わる問題について率直に語る彼の姿から、ダレールが献身的な人権運動家であることがわかります。カナダ上院議員を務めた後、彼は知性に基いた軍事リーダーシップの教育と、人権が侵害された場合は介入が必要であると提唱する国連アドバイザーとして活躍しています。

「何ということだ。大量虐殺じゃないか。」

2011年、ダレールはルワンダでの経験を証言としてUSC Shoah Foundation Visual History Archiveに提供しました。絶望的な資源不足、準備不足、そして激しい紛争に介入するには不十分な権限しか与えられないままルワンダに着任し、平和維持活動を努めるには圧倒的に情報不足であった当時の状況を詳しく述べています。ダレールに任された平和維持のミッションは、和平協定のルールに従いフツ族統治政府とツチ族の反乱を含め、両方の部族を観察し報告するもので、難しいものではありませんでした。

しかし、ダレールが自ら費用を負担して得た情報はフツ族過激派の動きを報告するものでした。ツチ族のエリートによる暫定政府は膠着し、暴動、暗殺、そして「小規模な虐殺」のターゲットとなりました。国連はダレールの着任機関を6週間のみ延長し、しかしそれまでに何らかの解決策がとられない場合は、彼の部隊を撤退させると伝えます。

彼は考え続けます。「なぜこの危機が広がるのを止めないのか。なぜこの事態を国連が重要事項としないのか。なぜもっと政治的支援を受けられないのか。」

「これらの答えを得ることはできませんでした。」

国連がユーゴスラビアやコソボのような紛争を優先させる一方で、ルワンダでの殺戮は無差別殺人へと変貌していきました。何万人もの一般市民までもが身分証明書の提示が義務づけらた場所で殺されました。多くの場合、ツチ族はマチェーテと呼ばれる山刀で襲われました。

ジュネーブ条約の内容を確認しながら、ダレールは目の前の過酷な現実をつきつけられました。しかしなすすべがあったでしょうか。「私たちは45年間近くも政府の支援を受けながら、ユダヤ人コミュニティによりホロコーストについて社会的教育を受けてきました。二度と起こさない、という政治的キャンペーンも行っています。このようなことは単純に起こってはいけないことなのです。とても想像できることではありません。」

しかし現実はこれを裏切りました。「何ということだ。大量虐殺じゃないか。」

ダレールは被害の可能性があった人々を3万人以上保護しましたが、絶対的な支援強化が必要でした。民兵の殺人行為を止めるために5,000人規模の部隊を要請し、1週間もの交渉の末に許可を得たにも関わらず、誰もこの部隊に参加したがりませんでした。彼は大きなリスクを伴いながら報道陣の前で国際社会に対する非難を述べました。しかし出版された記事では紛争についての詳細は大幅に削除されてしまったのです。

「ルワンダで起きていることを誰も報道しませんでした。些細なことにされてしまった。」

未来への希望

ダレールの証言は約3時間に及んでいます。語られるテーマは大変厳しく、ダレールは時にぶっきらぼうに、また傷つきやすい様子を見せながら議論しています。会話の方向性に明らかに苛立っている様子も見られました。このようなところもダレールの人間性が表れており、インタビューを非常に説得力のあるものにしています。

この証言の最後に、ダレールは「ふぅーっ」と音を立てるように息をしています。ルワンダで経験したフラストレーションや荒廃した状況、そして自分の無力感を長時間にわたって思い出すことは彼にとって大変な負担に違いありません。しかし、ダレールはこの経験を生涯の仕事としました。彼のメッセージは思慮深く、静かな切迫感を強調します。彼の著書や様々な講演、アドバイスとその姿勢のおかげで、私たちは彼の経験から学ぶことができるようになりました – ルワンダで起こったことは、どこにも誰にも、もう二度と起きることのないように。

未来に対して、皮肉的で冷酷な姿勢に転ずることのほうが、彼にとっては簡単だったかもしれませんが、ダレールは未来について希望を捨てていません。その大きな理由は、世界中に増えている国境に縛られない生き方をする若い世代です。「彼らにとって国境は面倒なものでしかありません。」

国際的なコミュニケーションを可能にしたスカイプや旅行の利便性を向上させたテクノロジーのおかげで、若者は自らをグローバル市民であると認識しています。彼らにとって世界はもっと親密なもので、世界的な出来事はより即時性を伴ったインパクトを持っているのです。

「彼らは人権を良く理解しています。」ダレールは続けます。「いつでもスカイプでつながりたい相手につながれるし、結果つながる向こう側の相手も人間だということに気が付く。人権は全ての人間に存在することに気が付くのです。」

ダレールはこれをひとつの革命だとし、まだ始まったばかりではあるものの将来の重要なファクターとなることを予想しています。より多くの共感があれば、人権侵害を見て見ぬふりをすることはそう簡単ではなくなるはずです。


Visual History Archive
ホロコースト(1939-1945)、アルメニア人虐殺(1915-1923)、南京大虐殺(1937)、ルワンダ虐殺(1994)、ガテマラの内戦(1978-1996)、中央アフリカ内戦(2012-Present)の生存者と目撃者、また現代の反ユダヤ主義に関する証言や経験をUSC Shoah Foundation InstituteのVisual Historyのために約2時間の動画インタビューに収録し、55,000のコレクションにまとめたものです。

ルワンダ内戦をさらに知るためのリソース
Ghosts of Rwanda : ルワンダ内戦による虐殺から10年の節目に作製された2時間のドキュメンタリー。米国および国際社会の介入拒否の結果、フツの過激派により80万人におよぶルワンダ人が組織的に捉えられ、殺された大量虐殺についての番組。Alexander StreetのAcademic Video Onlineに収録。

ルワンダ着任中のダレールの記憶、Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda、また、国連ニューヨーク本部へのルワンダに関する報告書: Alexander Streetのデータベース、Human Rights Studies Onlineに収録。

学位論文:

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